■映画「それでもボクはやってない」 絵空事だった…? 教科書の司法制度

ずっと気になっていたこのテレビジョン映画「それでもボクはやってない」。

近所のレンタルビデオ店で1週間レンタル可能になっていたので借りてみました。

この映画が気になったきっかけは、予告をテレビで観たからなのですが、
大好きな役所広司さんが出演しているからでも、
面白かった「Shall we ダンス?」の周防正行監督からでもありません。

”何も悪い事をしていなくても、自分にも、起こりえること”

だったからです。

過去にこんな事がありました。

ホームにもうすぐ入ってくる乗る予定の電車があったんです。
その電車を逃すと次までまた30分以上かかるので急いでいました。

階段を降りて同じ電車に乗る列の最後尾に並んだところ、
携帯の着信音が鳴って慌てて止めようとポケットから電話を取り出しました。

※携帯は普段マナーモードにしているのですが、
 大事な連絡を待っているときなどには着信音を最大にしている時がありました。

結局それはメールの着信でした。

僕は乗車に備えてすぐにマナーモードにするための操作をしていました。

すると前には女子学生がいて、
こちらをチラっと怪しむような目で観られていたのです。

「疑われてる? でも誤解ってわかってもらえたの?」

詳細は僕にはわかりませんが、
僕がこの人の立場ならいなくなって欲しいだろうと考え、
すぐ隣の男ばかりの車両から乗り込みました。

結局それは1分もない間の出来事だったのですが、何事もなくてよかったです。
つくづく携帯にカメラなんか無くていいのになんて思ったりもします。

後日知人の女性にその話をしたら、

「女の後ろに立つな。」

と言われました。

それからというもの、混雑した状況では女性を避けるようにしています。

だから女性専用車両は大歓迎ですね。
男だけだとむさくるしいですが、そういう意味では安全です。


話は戻りますが、この映画について検索していると、
夕刊フジで冤罪当事者にインタビューをしている記事がありました。

その中で、

「ベルトコンベアに乗せられたように有罪へ導かれる」
「起訴してしまえば、検察の公判部としては有罪をとるのが宿命」
「学校教育で習ってきた司法の原則は現実には絵空事にすぎなかった」


という文章があるのですが、まさしく映画を観ての僕の印象と同じでした。

この映画はそりゃ”ツクリモノ”ですが、周防正行監督の綿密な調査があって、彼らから観てもリアルに感じるものだったようです。

また、映画鑑賞中は自分を主人公の被告人の立場としていましたが、現実には、
身内が原告(痴漢被害者)になったり、
または被害を目撃する立場になったり、
はたまた私人として現行犯人を逮捕するなんて事もあるかもしれない。
さらには裁判員制度の中で被告を審理する立場になるかもしれない。
(裁判員制度が痴漢事件について適用されるかは不明)

映画の中でさまざまな立場の人間が登場しますが、
どのような状況でも、

「自分の発言には責任を持つ」
「わからない事はわからない」


という心掛けが必要だと感じました。

…自信ないなぁ…。たらーっ


URL 公式サイト
URL ウィキペディア「それでもボクはやってない」
URL 夕刊フジ「冤罪者の悲痛な叫び…痴漢裁判の恐怖」
コメント

>ゆざいちょさん
コメントありがとうございます。

当たり前の権利を行使する事が怖くなってしまうという今の現状に問題がありますよね。
司法がしっかりしていれば冤罪は冤罪と判断できる事も多くなるのではないでしょうか。

男性 → 証拠無し、加害者決定
女性 → 証言に間違いない

このような先入観では女性のためにもならないという事ですよね。

そう考えると、権利を行使するって行為も結構怖いなぁ。